やっぱり人間は、その人その人の気持ちを生かしてあげなあかん。

佐孝せつ子さん

宝物:とうちゃんの写真

佐孝せつ子さん

 昭和14年(1939年)生まれ、78歳かな。あわら市の鷲塚針原(わしづかはりばら)の出身です。23歳で北潟(きたがた)へ嫁に行ったの。

 おとうさんとの出会い? 花火大会があってね、そこで話しかけられたの。「喫茶店でも行くか?」って聞かれて「行く〜!」って。迷いはなかったね。家は吉崎御坊(よしざきごぼう)って知ってる? 越前吉崎(現在の福井県あわら市吉崎)にあった坊舎で、有名なところなんやけど、その近くにあってね。石川県との境やね。おとうさんの実家は農家でね。「とみつ金時」っていうサツマイモが特産であるんだ。それを作ったり、お米もやってました。田んぼは2町歩くらい(約2万㎡)あったな。この辺の人はみんなそんなもんや。

 あわらでは、10年間栄養士をやっとったよ。調理師免許もある。洋裁学校にも行っとったことあるから、娘と息子の服は全部作った。型紙から縫うのなんかは、何でもできるな。編み物もほうや。セーターでも何でも作った。小さくなったらほどいてまた編んでたな。いま残ってるのは、手提げ鞄ひとつやけど、こんなんたくさん作ったんよ。大きいのと小さいポケットつけてな。ケータイ入れたり、保険証とかちょっとしたもの入れるのにいいんや。チャックが長い単位でしか買えんかったから、ちょっと出てるんやけど、変でねえか? ほうか、お洒落って言ってもらえるか。

 わたしな、昔からきちっとしてないと嫌なんや。掃除もそうやし、食事のあとの洗い物もそう。朝は必ず同じ時間に起きて、体操する。昔からの習慣やね。日記もずっとつけとるよ。ひとつ読もうか?
「今日は孫が遊びに来た。お土産を持ってきてくれて嬉しかった」

 毎晩寝る前に書くんだ。それから、枕元のおとうさんに日記を読んで報告して、「ありがたいよな」って感謝して眠る。毎日同じ。
 そんなんだからか、ここ(愛の家グループホーム勝山荒土)では、ごはんの手伝いをしてるんや。できることはしようって思う。皿洗いにしても、うまくできん人がおったら、そこを変わってあげてな。そんなふうに手伝いしとる。

 いろんな人がおるけどな。やっぱり人間は、その人その人の気持ちを生かしてあげなあかん。自分の意見だけが偉いではダメや。抑えるところは抑えな。たった一人で暮らしてるのとは違うんやもん。自分と違う人のことを怒ったりしてもしょうがないと、わたしは思うんやけどね。

 おとうさんはな、胃がんで56歳のときに亡くなった。そりゃあ、日記を読み返して、涙が出ることもあるよ。一緒にあちこち行った思い出があるからな。北海道や四国に行ったなあって。でも、この写真があるから大丈夫。いつも話しかけとるんや。
 こんな綺麗なコスモス畑にも、おとうさんを連れてこれてよかったわあ。

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