走ることは、誰でもできることだと思います。姿勢を前傾にして前に足が出だしたら、それがもう走りですから。

西谷 光司さん

宝物:日本ハーフマラソンランキング 68歳の部・第一位

西谷 光司さん

まだ成瀬駅がなかった頃に越してきまして、町田歴は40年かな。走るのをはじめたのは……いま70歳でしょ、ええと……37歳ですね。会社の昼休みに走ってました。それから当時保育園児と小学生だった息子たちを連れて、多摩川の月例マラソンに参加するようになってどんどんのめり込んでいきました。会社員時代は、多摩プラザから自宅までの約10キロを毎日通勤ランしたり、いまでは個人で大会にエントリーして北海道から沖縄まであちらこちら走っています。
「町田いだ天クラブ」に参加したのは、20年ほど前。野津田の競技場で記録会があったんですね。けっこういい記録を出しだんです。そこから声をかけられたのが最初ですね。

40周年を迎えた「町田いだ天クラブ」は、東京都内の大会への参加が中心です。メンバーには、世界記録とか日本記録を出している人が多いんですよ。このユニフォームを着て地方の大会に出ると、声をかけられることもあります。

RUN伴には、3年前からクラブとして毎年参加して4回目です。サポートメンバーのピンチヒッターとして声がかかったのがはじまりでした。あのときは横浜の江田から町田市役所までの約15キロを走りました。オレンジのTシャツを見れば、みんな応援してくれますし、継地点のタスキの受け渡しなんかも盛り上がっていて、楽しいですよね。

うちのクラブのIさん、このひとは世界記録とか日本記録をたくさん持っています。優勝も1000回以上しているはず。認知症になっていまはお休みしているんですが。いま81歳です、たしか。3、4年前にご一緒したときに「もう走り方忘れちゃったよ」って言いながら、やっぱり走ると速いんですよね。10なんぼ年下の僕は、いつもその人に負けちゃうんです。同じ70歳のときを比べても、記録は破れないですね。すんごく速い人です。

RUN伴は競技ではなく、ゆっくりと歩いても大丈夫だから、この先輩にもぜひ出てきてもらいたいなと密かに思っているんです。それが実現したら、きっとカラダが覚えていて、また置いていかれちゃうんだろうな。

こういうライバルたちの存在が、チャレンジを続ける原動力になっています。自分の限界への挑戦もあるけれど、負けたくないという気持ちはありますね。こうしている間もあの人は練習しているはず。じゃあ走らなくっちゃってね。

走ることは、誰でもできることだと思います。姿勢を前傾にして前に足が出だしたら、それがもう走りですから。
RUN伴には、今後も関わっていきたいです。思えば、いつも声をかけてもらっての参加でしたが、5月頃にはスケジュールもルートも決定しているという話だったので、次は早めにエントリーをしたいです。「町田いだ天クラブ」のメンバーを集めて20人くらいでガッと走りたいですね。わたしもあと10年したらわからない。自分の将来を見つめる意味でも、大切なイベントだと思います。

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