赤が好きって言い続けとったら、夕日がキレイな日なんかは、写真を送ってくれるひともおるで。

東 まゆみさん

宝物:赤い名刺入れ

東 まゆみさん

ダブルピースじゃないんです。これは泉佐野名物のワタリガニのポーズ(写真)。なんでもPRせなね。生まれは隣の泉南市なんやけど、泉佐野市に嫁いできてからいろんなご縁に恵まれて。ここ『犬鳴山七宝龍寺』さんとも、とあるご縁から。ずっと看病していた母が亡くなって、小学校のPTAの役員させてもらったんです。そんなときに小学校で講演会を企画することになってん。ずっと主婦しかしてないわたしは、大きな講演会の講師としてどんな人を呼んだらええのかさっぱりわからん。まさに「困ったときの駆け込み寺」として『犬鳴山七宝龍寺』のご住職(当時)に紹介してもらったんが、「東洋の魔女」を率いたニチボー貝塚バレーチームの大松博文監督※。フツーの主婦が呼べるようなひとではなかったからね。ひき受けていただけて、ほんまありがたかったなあ。
もらったご恩を忘れないぞと思ってね、お客さんが来たら『犬鳴山七宝龍寺』へ連れて来てます。だって、ここのパワーすごいやろ? 気持ちがええし、元気にもなる。若い人らにも語り継いでいってほしいです。頼むで!

※大松博文監督……バレーボール全日本女子を監督として1964年東京オリンピック金メダルに導く。1953年〜1964年の任期中に175連勝を記録、「回転レシーブ」などを考案。その過酷な練習で「鬼の大松」とも言われたが、実際に会ってみると穏やかな好人物であったと言う。

昔の泉佐野の風景。商店街はひとで埋まっとった。今の商店街が寂しいんは、嫌やなと思てます。2017年に商店街で「いずみさの国際音楽祭」をやったんです。地域のひとやアーティストを集めて商店街やお寺、あちこちで演奏してもらって。幼稚園の鼓笛隊がパレードしたときには、「老い先短いなかで、こんなにたくさんのひとが来てくれることはないと思とった」言うて、商店街の方が泣いてはってね。それを見て、続けていかなあかんなと思いましたね。いまは、メンバーがうまいことやってくれるから、黒衣(くろこ)の応援部隊やけどね。

地域を盛り上げたいというこの気持ちも、RUN伴の活動もみんな同じ感覚。ひとがおらんくて寂しくなっても、そこに魅力があると、伝える。「認知症になっても大丈夫!」と、伝える。それぞれのことをみんなが理解するためには、何をすればいいのか? それだけを考えて動いてます。必要だと感じたら、そこに向かって突っ走りますよ。だから名刺がどんどんできんねん。この名刺入れも、娘がプレゼントしてくれました。これも赤や。赤いものが好きなんで、クルマもメガネもみんな赤にしてる。それも言い続けとったらみんなが覚えていてくれる。夕日がキレイな日なんかは、写真を送ってくれるひともおるで。
病気だから障害があるから弱者だなんて思ったことないです。たまたまやん。美人もそうでないひともおる。他人がなんやかや言う問題じゃない。11個年下の友人がおるねんな、「障害者手帳があるから交通費が優遇されてお得やで」って言ったことがあるねん。わたしめちゃ怒ったんや。それは違うよって。彼は多分「俺が優遇されとる分、使えるで」という意味で言うてくれたと思うけど、それを誘い文句にして呼んだり呼ばれたりするのはほんまの友だちちゃうでって。彼は「そんな風に言われたことない」って驚いとったな。「いつも『かわいそう』って言われるか、いじめられるしかなかった」って。それからめっちゃ仲よしです。友だちになってもう15年になるかな……? ちょっと待って、歳わかってしまう〜!

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