読んでいてつっかえるところがあると親父に「何と書いてあるとたい?」と聞かれる。
山崎 勝さん
宝物:父の形見の拡大鏡
実家は、上熊本のほうの段山町(だにやままち)ちゅうところにありました。親父が戦争で目を怪我(失明)したんで、私が毎朝新聞を読みあげるのが日課でした。当時小学生だったので、読んでいてつっかえるところがあると親父に「何と書いてあるとたい?」と聞かれるので、「月偏に西に女」と言うわけです。すると「それは腰と読む」と。幼い日の病気が原因で私は左目が見えないので、その頃からこの拡大鏡を使って新聞を読んでいたと思います。今では柄がないんですけどね。
戦争で親父は最前線で指揮をとっていたと聞きました。至近距離でこめかみを撃たれて弾丸が貫通したそうです。多くの人が命を落としたなかで、命があって帰ってくるのはよかほうですよ。
親父は靴職人でした。母が針に糸を通したりを手伝って、私はできた靴の土台を近くの弟子の工場に持っていくのをよくやりました。父は繁華街にも連れて行ってくれました。自分は見えんのに、新市街の映画館(現在の「Denkikan」)なんかはよお行きました。歩いて行けたんですよ。弟と一緒に漫画映画を観ましたね。私は左目が見えないので、映画館の最前列が定席でした。冬は寒かったので、親父のマントの中に弟と一緒に入って歩きました。ぬくかったですよ。
親父は酒が好きでねえ、家からすぐのところに酒屋があるんですが、そこに焼酎を買いによく行かせられました。空になった一升瓶を持って行くんです。米焼酎を飲みよったかなあ。
うちは5人兄妹だったですけど、当時は兄妹が4、5人いる家庭は普通でした。私が通った一新小学校は、1クラスに50人くらいいて、1学年に300人近くいました。熊本市内でも生徒数が多い小学校だったので、遊ぶのに困らんかったですね。
子どもの頃は、小鳥をやしなうのが好きでしたね。ジュウシマツなんかも育てて、鳥小屋は自作しました。伝書鳩もいました。小屋から出してやると飛び立って、家の周りをぐるぐる旋回するんです。口笛を吹くと戻ってくる。鳩は賢いですね。
山登りも好きです。高校生の時分は、山岳部に入っていろんな山を登りました。鳥取県の大山もスキー合宿で行きました。一番好きな山は「金峰山(きんぼうざん)」。毎日登りました。朝登って降りてきて、家で昼ごはんを食べてまた登って、と一日2回登ったこともありますよ。標高は665メートルほどで急な坂もなく、近所のひとがお散歩コースにするような気楽な山です。今でも誰かが金峰山登ろうと言ったらついて行きます。はい? 金峰山に行きますか? よろしいですよ。案内しましょう。
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下りを歩くときは、かかとを先につける。つま先を使い過ぎると疲れます。すこし膝を曲げて。周りから見たらおかしいと思うかもしれんけど、自分で歩きやすいほうが、あとで楽です。登山やるひとはこれに大きな荷物もありますから。
頂上から景色を眺めるのもいいですね。けど、数人で登るときは、その人の弱いところに合わせて登らんとダメですね。その人が長続きするようにしてやらんと。頂上でごはん食べて降りてくるなら一人でも行けるんです。団体になると、こらえるところはこらえる必要がある。それでも仲間と登る山は楽しいもんです。