おふくろの味は、肉じゃがです。すこし甘めにしてあって、子どもが好む味付けでした。
山本清志さん
宝物:ひとえだ食堂のエプロン&三角巾
小さい頃わたしは体が弱くて、小学校5、6年になっても母がおんぶして医者まで連れて行ってくれていました。当時は車もないですから。それを見た同級生にからかわれたりしてねえ。そんなことを覚えています。優しい母親でしたよ。母は一枝(かずえ)と言います。
おふくろの味は、肉じゃがです。すこし甘めにしてあって、子どもが好む味付けでした。じゃがいもが好物なんです。なんでも、わたしがお腹のなかにいる頃にじゃがいもばっかり食べてたんだそうで、「清志はじゃがいもでできている」なんて冗談でよく言っていましたよ。
料理が好きなひとで、おかずをいっぱい作って近所のひとにふるまっていました。専業主婦だった母が、50を過ぎて企業の社員食堂で調理師のしごとをするようになりました。ひとと話するんが好きやったから、向いてたんちゃうかと思います。
教育行政のしごとを長くして、いまわたしは年金生活になりました。市役所の教育委員会での勤務だったんです。
母を施設にあずけるとなったとき、責任を放棄するような気がして悩みました。ただ、認知症の知識もないし、自分だけではどうしようもないからと、施設に入所させたんです。しかし、最初に入った施設が本人の思いが伝わらない、コミュニケーションのとれていない場所でした。わたしが面会に行くと、カーテンも開けず、電気もつけない部屋でベッドの上にぽつんと座っていて。気分転換にと、テレビを付けても消してしまう。完全に心を閉ざした状態でした。
自宅にいるときから母を看てくれている看護師さんが「この施設はどうも一枝さんに合っていないんじゃないか」と、ここ『泉佐野たんぽぽの会』を紹介してくれました。2018年の5月に入所が決まってすぐに、たんぽぽの職員さんが家へ来て、台所から母の部屋まで写真を撮っていったんです。できるだけ日常の生活と近づけたいと、畳縁の色や家具の配置まで確認していった。
当初は車椅子に乗ってもだらんとして気力がない状態で、反応もにぶく酸素までつけていた母が、しばらくすると酸素マスクを取って笑顔で冗談を言うようになった。一番驚いたのは「玄関まで送る」と言って、歩いたんです! 環境によってここまで人間が元気になるのかと、奇跡を見たような思いがしました。
※山本一枝さんの担当をしていた訪問看護師・中谷邦子さん。一枝さんと「泉佐野たんぽぽの会」を引き合わせた。
『ひとえだ食堂』は、自分の名前をとって母自身が付けました。2018年に大阪城で行われたRUN伴のゴールイベントの際に、岸和田や堺のひとたちと親しくなったそうなんです。「泉佐野のおばあちゃんに会いに来たで」と、実際にたんぽぽまで遊びに来てくれる方がいらした。それがきっかけになって、お客さんをもてなしたいという母の思いを食堂というカタチにしてもらいました。
わたしも食べさせてもらいましたが、ポテトサラダは昔と味が変わらなくって美味しかったですね。食堂には、RUN伴つながりで友だちになった岸和田や堺のひとたちや、地域のひと、たんぽぽの元・職員さん、ほかの入所者のご家族さん……いろんな方に来ていただき、それはそれはにぎやかでした。2019年5月に1回目を開催し、2回目をやろうと約束していたんですが、それは叶わなかった。
ここの庭の畑に、母と一緒に大根の種をまきました。毎年9月中旬の岸和田祭りの頃に植えると決まっていて。そこから1か月たたないうちに、母は亡くなりました。
最期に母は「ここへ来てよかった」と言ったんです。みんな優しくしてくれるし、嬉しいわあと。わたしがひとの出会いに恵まれているのは、母譲りかもしれません。