家族と楽しくおかしく、人生を生きればいいんだよね。

長坂 愛子さんと奈美さん

宝物:愛子さんお手製の鞄

長坂 愛子さんと奈美さん

愛子「奈美さんはわたしのお嫁さんだよ」って言うと、みんなに「あんたのじゃないでしょ。息子の嫁さんでしょ」って言われるの。自慢の嫁だよ。私はずっと幕別町。“生まれつき”なの。83歳になるのかな。うちのおじいさんが山梨から来たんだよ。明治の人だね。

奈美明野町というところに入植したんです。家の前に大きな松の木があるんですけど、実は山梨県から持ってきた盆栽だったんですって。

愛子おじいさんとおばあさんの結婚記念日に植えたんだそうですよ。今はすごいことになってるよね。……いいのかい? こんな話してて。

奈美昔はすごかったよね。お義母さん、馬橇(ばそり)で学校通ってたんでしょ。馬使いがうまくて有名だったんだよね。

愛子うちに8頭いたの。父がね、「今日はお前たちが馬の当番だ」って言って自分だけ出かけちゃうの。したら、私は姉ちゃんと一緒に「寒いのに父ちゃんずるい」って文句言いながら馬の世話してた。身体を全部ふいてやったり、馬糞を外に放ってあげたりするんだ。仕事が終わって「ゆっくり寝るんだよ。きれいにしたよ」って声をかけると、ヒヒーンって鳴いて「ありがとう」って言うの。あんな可愛い生き物はないと思うよ。

奈美馬耕の時代です。冬の凍結した十勝川を馬橇(ばそり)で行って、対岸まで木材を取りに行ったんでしょ? 朝になると氷が溶けちゃうから、夜中の3時くらいに。寒かったと思うな。

愛子そんなのなんてことなかったよ。若かったからね。ミシミシって氷がいうから急いで行くの。岸の半分くらいまで馬で行って、そこからは手で漕ぎながら橇を進めるんだ。たまに父さんや母さんが見に来たりして。埋まってたら大変だからね。

奈美こういう馬の時代からトラクターに移行するのを生きてきた人だから、すごいですよね。お義母さんはトラクターやダンプを一番最初に乗り出した女性ということで、この辺ではちょっと有名だったみたいです。

愛子トラクターの水差し、油差ししてから仕事に取りかかるの。そんなのはパンフレット見たら全部出てるじゃない。第一、私は機械が好きだから。

奈美当時は「女のくせに」って言われたんでしょう?

愛子言われたね。「女か? 男か? 愛ちゃん」って冷やかす人がいたけど、知らん顔してた。関係ないもの。

奈美機械が好きだから、若い頃はバイクにも乗ってたんです。阿寒湖に行ったりして。冒険家って言われてたんだよね。

愛子なんもやめなさいって言う人いなかったからね。変な人だね、私も。

奈美このバッグは15年前に義母が作ってくれたものなんです。義母は裁縫が得意で、音楽をやる私に、楽譜が入るサイズで作ってくれました。昔の生地をパッチワークにして、裏地を入れてあるんですけど、パターンをひいているわけじゃなくて、立体裁断なんです。チャックの先についている飾りも手作りの、全部一点物で。私が言うのもなんですけど、ちょっと天才的なんです。東京のお店に卸してたんですよ。

愛子褒めてもらってありがとう。恥ずかしいわあ。奈美さんはアコーディオンをやってるから、楽しいよ。家族と楽しくおかしく、人生を生きればいいんだよね。

『環(たまき)』のデイサービスでごはんを作るんだけど、すんごく楽しいよ。みんなで作ってみんなで食べるからいいんだよね。

奈美『環』さんにはすごく感謝しています。認知症の診断を受けてから、わからないことが多いからすごく不安らしくて。ヒステリックになっちゃうこともあったんです。でもここでは、その対応についても教えてくれますし。義母もここに通うようになってから、たくさんの人と接しながら、日常生活を繰り返すことでまた思い出せたり、できなくなったことができるようになったり。できなくなっていくことが明らかに止まったんですよね。

RUN伴には今回初めて参加しました。行ってみたら、初めてお会いする入所者の方に「手つないで走ろう」って一緒に走ってもらえて。楽しかったです。

愛子「愛子さんきれいに走れたね」って褒めてもらったよ。

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